なかなか悩む質問を頂きました、40台前半の女性からです。

家に戻ったときに、家族が誰かしらいることです。

ちっぽけでありふれていて、面白味も何もないんですが、
妻も子供たちも誰もいないと、家の空気感覚って違います。

一人暮らしは長かったので寂しいとかそういうものとは違って、
どこかこう「がらん」とした空洞のような空気。

そう考えてみると一人じゃないってのは、
ささやかな幸せなのかもしれないと質問を見ていて感じました。

後は単純に「妻が私のことを好いている」ときです。

個人的な主観になってしまいますが、
私はパートナーを抱けなくなったときに、
家庭というものにはすでに亀裂が入っていると思います。

話をいろいろ聞いていると、8割強の人が
「パートナーをそういう目で見れないと言います」

それってかなり切ないですよね。

だとしたら一人オナ●ーをするんでしょうか?

一人こっそりトイレに入って? もしくは風呂で?
寂しすぎるでしょう、それこそ愛なんてどこにもない。

確かに子供を産んでしまったら、恋人的な甘いものも、
スイーツと一緒に食べてしまったのかもしれない。

ネットワークビジネスで成功している人も、
家庭内別居であったり、いまだ独身であったり、
子供が一人もいなかったり、家庭バランスが取れていない
そういう人もかなり多いです。

別に家族とか子供がいないからダメという話ではなくて、
「彼らにとっての愛はなんだろう?」と思うことがあります。

お金? 稼ぎ? 収入? 組織の深さ? 仕事?

私は仕事に対して情熱を持てるタイプではないので、
愛というものはどちらかというと外的には求めません。

自分の中にある内的な作業で求めます。

なので今なら「執筆活動」というのも、
自分の中では自分を愛している行為の一つですね。

なぜならこれがサラリーマン時代であったら、
一日相当頑張っても一記事が限界です。

さらにはド貧乏なわけですから、
そもそも「人に伝えられること」が今ほどありません。

ただもし、貧乏時代にこうして記事を書かないといけない、
そうしないとネットワークビジネスの組織が立ちいかないようなら、
徹底的にリアルな貧乏生活を書いていったと思います。

成り上がるまでの軌跡と称すれば、
少なくても同じ境遇の人は見てくれるはず。

今の妻は、私と付き合っていた当初、
まったく料理ができない女子でした。

初めて彼女の自宅に遊びに行ったとき、
大きな冷蔵庫の中には2リットルの水が3本と、
謎めいたサプリが3箱入っているだけでした。

思わず目が点になりました。

初めて作ってくれた料理は、
俺でも作れる焼きそばでした。

しかもなぜか麺が黒い、
味はそのへんの野犬でも吐き出すほどの不味さでした。

思わず正直な私は..

「こんなの犬も食わないよ」と優しくソフトに言いました。

彼女は泣きました。

それからことあるごとに「俺は料理のできる女が好きだ」と、
催眠術のように繰り返し言いました。

その甲斐もあって、あれから11年たちますが、
しっかり料理を作れる女子に成長しました。

ふと思い返してみれば「これも愛」なのかもしれません。

好きな人のために、自分が不得意なことを練習して、
できるようになる。

でもこれって、ネットワークビジネスも似ていませんか?

私が今こうして文章を当たり前のように書いてはいますが、
15年前は、逆立ちしても何一つ言葉は出てこなかったでしょう。

本も読まず、言葉も交わさず、文字も紡げない。

出てくるのは人生に対する不満と不平、
そして会社の愚痴と上司のウザさでした。

会社に対しての「愛」なんて口が裂けても言えません。

あのころはたぶん、いろんなものに飢えていたんだと思う。

人に飢えて、金に飢えて、愛にも飢えて、セックスにも飢えて..

ネットワークビジネスに出会ってよかったことは、
自分の軌跡というものを、一番伝えやすいものに、
こうして出会えたことが、私にとっての愛の形です。

仮にもしMLMを今の私がやっていなかったとしたら、
子供たちには優しくできなかったでしょうし、
妻に洋服ひとつ買ってやることもできなかったかもしれない。

甲斐性のない金を稼げないクソ男だったに違いありません。

「あなたが本当に欲している愛の図形は、どんな形をしていますか?」